はじめに|TEAM NACSの存在なくして、安田顕は語れない
このシリーズ第1回では、北海道室蘭出身・安田顕という俳優の原点をたどりました。
そして今回は、その彼を俳優の道へと導いた最大の転機、TEAM NACSとの出会いと再結成について野田商店として「簡潔」に深掘りしていきます。
北海学園大学での“偶然の出会い”
1990年代前半、札幌にある北海学園大学。
演劇研究会に集まったのが、のちのTEAM NACSの5人です。
- 森崎博之(リーダー)
- 大泉洋(ムードメーカー)
- 戸次重幸(理論派)
- 音尾琢真(演技派)
- そして、安田顕(最年長・変幻自在)
もともとは学内イベントのために結成された1回限りの演劇ユニット。
それが「TEAM NACS」でした。1996年に初公演『LETTER〜変わり続けるベクトルの障害』を上演。
しかし、当時の彼らにプロの役者になるという発想はなく、公演後に一度解散しています。
“再結成”という奇跡|演劇への覚悟が始まった瞬間
1997年、森崎博之の「もう一度NACSをやらないか?」という呼びかけにより、5人は再び集結。
当時、安田顕は広告代理店に就職しており、役者ではなく“会社員”としての日々を送っていた時期でした。
それでも彼は、“もう一度演劇をやろう”と腹をくくり、再び舞台へ。
この選択が、安田顕という俳優が生まれる始まりでした。
札幌の片隅から、“日本一チケットが取れない劇団”へ
再結成後、TEAM NACSは精力的に舞台を打ち続けます。
当初は100人入るかどうかの小さな劇場。チラシを手配りし、チケットは自分たちで手売り。
地元のテレビ番組『水曜どうでしょう』や『おにぎりあたためますか』などが話題となり、
徐々にTEAM NACSの名は道民に浸透していきます。
特に2004年公演『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム』で東京進出を果たしたことで、
「チケットが取れない」「演劇の常識を覆すエンタメユニット」として全国区の評価を得るようになりました。
チームの中での安田顕の立ち位置とは?
安田顕はTEAM NACSの中で、最も変則的で最も自由な存在です。
- 舞台では「いきなり全裸」「吐く演技」など、突き抜けた表現も辞さない
- 同時に、**誰よりも細やかに“空気を読む”**役者
- 他の4人が安田顕に一目置く理由は、“感情を動かす役者”であること
戸次重幸はこう語っています。
「誰が何と言おうと、NACSで一番“芝居の本質”を掴んでるのはヤスケン」
「笑い」と「泣き」を共存させるユニットの凄み
TEAM NACSの舞台は、コントのように笑えるシーンと、
突然涙腺を刺激するようなドラマ性が同居しています。
そのバランスを最も体現できるのが安田顕。
彼が“ふざける時”と“泣かせにかかる時”のギャップは、観客の感情を一気に揺さぶります。
「あんなにふざけてたのに、最後の10分で泣かされた」
それがNACS、そして安田顕の真骨頂。
まとめ|“演劇”は、彼のすべての原点
TEAM NACSの存在がなければ、
今の安田顕はいなかった。
- 会社員から役者へ
- 演劇から映像へ
- 北海道から全国へ
すべてのルーツは、小さな大学の演劇研究会にあったのです。
次回予告|第3回「映像の中で光った“怪優”としての覚醒」
第3回では、安田顕が映像作品に本格進出してからの変化と、
“怪優”と称されるようになった演技の特徴、
そして代表作たちをひもといていきます。
それでは~バイビー👋
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