「どうでしょう、また新作やるってよ」
そんなニュースが流れるたび、ふと思う。
——安田顕さん、今回も出ないのかな。
ファンの一人として、それは少し寂しい。でも同時に、どこか誇らしい気持ちにもなる。
見えないところで支える人
「水曜どうでしょう」は、あの4人で完成された伝説のような番組だ。
安田顕さんは当時、チームNACSのメンバーとして時折登場し、独特の存在感を放っていた。
けれど、次第に彼は“映る側”から“支える側”へと距離を置くようになる。
まるで、自分の中でひとつの区切りをつけたかのように。
それでも不思議なことに、彼がいなくても「安田顕」の気配は番組の空気に残っている。
「出ない」ことも、優しさのひとつ
ファンの間では「忙しいから」「スケジュールの都合で」なんて言われるけれど、
それだけでは片づけられない何かがあるように思う。
おそらく、安田さんにとって“どうでしょう”は「居場所」ではなく「原点」。
だからこそ、簡単には戻らない。
中途半端な形で出るよりも、静かに見守ることを選ぶ——それが、安田顕という人だ。
ファンとしての正直な気持ち
「また一緒に出てほしい」
そう願う気持ちは今も変わらない。
けれど、無理に出てほしいとは思わない。
あの人が選ぶ「距離の取り方」には、彼らしい誠実さがあるから。
それが“狂気と優しさ”を併せ持つ安田顕の生き方であり、
だからこそ、私たちは彼を好きでい続けるのだと思う。
出ないけど、つながっている
「水曜どうでしょう」は、安田顕という俳優の中に今も息づいている。
彼の芝居の端々に、“あの頃”の空気を感じる瞬間がある。
笑いながら泣けて、ふざけながらも本気で生きる人。
出ていなくても、そこに“想い”が残っている。
だから私は——出なくても、好き。



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