「ふざけてるように見えるけど、本人はいつも必死だった。」
TEAM NACSの一員として、そして「水曜どうでしょう」で名を知られるようになる前。 安田顕という俳優には、私たちが知らない“普通すぎる”日常と不安がありました。
今回は、ブレイク直前の彼の姿を掘り下げます。
水曜どうでしょうとの出会いがすべてを変えた
1996年、北海道テレビ(HTB)で深夜枠にひっそりと始まった「水曜どうでしょう」。 最初はローカル色の強い番組でしたが、のちに伝説的な人気を誇る番組になります。
ここで、安田顕は鈴井貴之、大泉洋、藤村忠寿ディレクターたちと運命的な出会いを果たしました。
番組のメインではなかったものの、安田のユニークな存在感はじわじわと視聴者の心を掴み始めます。
テレビと演劇のはざまで揺れる想い
当時の安田は、TEAM NACSとしての舞台活動と並行しながら、テレビにも出演し始めていました。
しかし、演劇とバラエティの違いに戸惑い、「自分のやりたいことは何か」「このままでいいのか」と悩み続けていたと言います。
求められる“笑い”と、自分が目指していた“演技”とのギャップ。 その中で彼は、自分の存在意義を模索していました。
安田顕の“もうひとつの顔”|バイトと役者の二重生活
テレビに出演していたとはいえ、当時の収入だけでは生活できなかった時期も。
安田は、地元の飲食店や配送業などでアルバイトを掛け持ちしながら、舞台とテレビの仕事を両立していました。
夜遅くまでバイトをして、翌朝ロケに向かう。 「いつか芽が出る」と信じながらも、「このまま終わるかもしれない」という不安は常に胸にありました。
「ふざけてるようで、人生かけてた」彼の覚悟
「水曜どうでしょう」での安田顕は、時に無茶をし、時にただの“変な人”として笑いを取る存在でした。
しかし、その裏側には、人生を懸けた覚悟がありました。
目立たなくても、主役じゃなくても、自分の居場所を信じて続ける。 その姿勢は、やがて大きな支持と共感を生んでいきます。
まとめ|ブレイク前夜の“普通さ”に私たちは励まされる
今では名俳優として知られる安田顕。
けれどその道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。 迷い、悩み、バイトに追われながらも、それでも歩みを止めなかった彼の姿。
そんな“普通さ”にこそ、私たちは勇気をもらえるのかもしれません。
次回Episode5では、全国区へ飛び立つその瞬間に迫ります。
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