【Episode5】全国区へ|安田顕が“全国のヤスケン”になるまでの道

ヤスケンday5 芸能

“地元発”だったはずの男が、いつしか“全国区”の存在へ——。

それでは、シリーズ5回目です。野田商店として簡潔にお伝えいたします。

TEAM NACSのメンバーとして、地道に舞台を重ね、水曜どうでしょうでバラエティにも挑んできた安田顕。 今回は、彼が“ヤスケン”として日本中に知られるようになった転機に迫ります。


舞台とテレビの“二刀流”が始まった

2000年代初頭、TEAM NACSは北海道を飛び出し、東京や全国へと進出。 舞台公演での熱量が、徐々に道外にも届き始めていました。

その一方で、「水曜どうでしょう」も再放送やDVD販売を通じて道外に広まり、バラエティファンの間で“伝説の番組”として認知されていきます。

演劇とテレビ、全く異なる表現の場で安田顕は徐々に存在感を増していきました。


ついにドラマ出演へ|安田顕という“味のある俳優”

全国ネットのドラマで彼を初めて見たという人も多いでしょう。

たとえば「ハケンの品格」や「ホタルノヒカリ」などでの印象的な脇役。 ただの“おもしろい人”ではない、独特の空気感とリアリティをまとった演技が話題になります。

本人も当時、「演劇とテレビでは見せ方が全く違う。でも、どちらも本気で向き合いたい」と語っていました。


「TEAM NACSの安田」から「全国のヤスケン」へ

気がつけば、舞台だけでなくテレビでも目にする機会が増えていた安田顕。

TEAM NACSの一員という肩書に加え、「ヤスケン」という愛称が徐々に定着していきます。

バラエティでも独特のポジションを築き、真面目だけど面白い、冷静だけど何をするかわからない——そんなキャラで多くの人の印象に残るように。

安田顕は、確実に“全国区の顔”になり始めていました。


それでも「北海道の劇団員」であり続ける理由

全国的な活躍を見せる一方で、彼は今もTEAM NACSとしての舞台に立ち続けています。

「どれだけ環境が変わっても、NACSでの表現が自分の軸」 そう語る彼にとって、北海道は“帰る場所”であり、演劇は“戻る原点”なのです。

メディアの中心にいても、地に足をつけた活動を続ける。 それが、安田顕という人間の“静かな強さ”の源なのかもしれません。


まとめ|「役者 安田顕」が全国に届いた瞬間

安田顕が“全国のヤスケン”になったのは、ただの偶然でもなければ、バラエティの勢いだけでもありません。

舞台で培った確かな演技力と、笑いに対する誠実な姿勢。 そして、何より「自分のペースで、誠実に歩む」ことを選び続けた結果なのです。

次回Episode6では、「父親としての顔」「家族観」に迫ります。

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